名古屋市で住宅型有料老人ホーム、訪問介護、訪問看護、介護職員初任者研修や喀痰吸引等研修(一号研修)などの研修事業まで行なっているH&Nホールディングス

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2016.03.02

ズバッと一言

「いつかは自分も通る道」

昨日認知症の方が列車に引かれ損害賠償を受けた裁判の結果がでました。結果的に損害賠償請求はなくなり私を含め良かったなと思った方が大半ではないでしょうか。

確かにいくら家族であっても徘徊のすべてまで監視・監督することは困難です。しかし、今回の事例では「損害賠償は発生しない」という状況的判決であって今後の事故において損害賠償請求が発生する可能性は残りました。仮に私が認知症の母親を在宅介護(特に介護離職をして)していた場合は損害賠償の対象になる可能性が高いような判決内容でした。今回は妻が介護度1であり、息子も遠方であったためそこまでの監督責任に問われなかっただけのように思います。

私たち介護に関わっているものからするとどうしても認知症患者よりのひいき目で考えてしまいます。逆にJR東海側から考えてみると実際に損害を受けていることは事実です。また電車に乗っている人も多大な迷惑を受けている人もいるかもしれません。ご家族に責任を問うことはたしかに酷なことですが、JR東海も電車に乗っている人も、もっと責任はありません。今回の事例は認知症患者が徘徊をしていての事故ということでとてもクローズアップされましたが、一番迷惑を受けたのはJR東海であることに変わりはありません。それも720万円という高額な金額です。これが中小の民間企業であったならばそれこそ死活問題です。果たしてこの損害が自分に対してだったらいかがなものかと考えてしまいます。

おそらくいかなる理由であっても私個人としてはこのような問題に対して特に認知症事故は電車だけではなく車においても誰にも責任はないのではないかと思います。ですから私は今回の裁判の動向をみている時にこの責任追及できない責任のやり場をどう解決するのか。そこが一番関心のあるポイントでした。特に裁判事例は過去のものを参考にすることも多く、今回の事故が今後の展開に大きく左右されます。結果的に私としては非常に不完全燃焼な結果でした。何故なら状況によりその責任は家族に行くということが明確になったからです。家族したことですから家族が責任をとることは当然かもしれません。しかし、これでは認知症の在宅介護は恐ろしくてできたものではありません。先にも述べたようにJR東海がその損害を一方的にかぶることもおかしな話ではあります。じゃどうやって安全に在宅介護を行っていくのか?確かに裁判で示されるようなものではありませんが、安全面や経済面など政策として在宅支援が遅れなおかつ縮小されている状況を考えるとこの問題は個人と地域と行政とがもっと真剣に考えリンクしなくてはいけないのではないでしょうか。逆に損害賠償請求が認められていたら介護殺人は増えていた可能性があります。社会保障を削減していくことは必要なことかもしれませんが、本来介護保険は20歳以上が納めるようにするなり介護保険をもっと有効活用できるように財源の確保を進めてほしいと考えるのは私だけでしょうか。子供の頃老人を馬鹿にすると親にこう言って怒られました。「いつかは自分も通る道」今のご老人を支える国づくりをしなくて、はたして私たちが年を取ったとき支えてくれる国になっているのでしょうか。私は今よりもっと”早く死ね”と言われるのではないかと思います。

私も含めこれからの若者たちは今よりさらに悪くなっている社会保障と老後が待っているということはみなさんもわかっているはず。今の介護情勢から考えると少なくとも私はゾッとします。