名古屋市で住宅型有料老人ホーム、訪問介護、訪問看護、介護職員初任者研修や喀痰吸引等研修(一号研修)などの研修事業まで行なっているH&Nホールディングス

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2015.11.10

ズバッと一言

その先に「花」がある

私は看護師としてこの業界に入ってから約10年間「いつこの仕事を辞めようか」と考えていました。転職するなら早い方がいいし他にもいろいろと興味もありました。今でも思いますが看護や介護の仕事って考えようによってはすごく面白くない仕事なんです。何故なら大変だしつらいことが非常に多い仕事だからです。たまに面白いな楽しいなと思う瞬間はイベントなど行った時くらいですかね。その一瞬に達成感が集約しています。物凄く疲れるけどスッキリします。ですが毎日の仕事は困難の連続です。分からないことが今でも多いし問題的思考で考えれば毎日が問題点の宝庫です。おまけに今のレベルでは今のレベルに見合ったことしかできません。ですが常にそれ以上を求めなくてはいけません。一つ勘違いしてはいけないのが求められているのではありません。求めなくてはいけないのです。自分よりハイレベルな人がいる場合時として「求められる」ことは多々あります。これは期待も含め教育されているだけに過ぎません。本当に恐ろしいのは自分から求める道しかなくなった時です。トップに立った時こそ、その資質が問われます。不思議とその感覚が身についたころから「看護師をやめよう」とは思わなくなりました。また逆にこの追及していくことが面白くなってきたのを覚えています。よく「怒られている内が花」といいます。これは「怒られている人」にはあまり理解できません。ある程度の領域まで成長した人間にしか理解できません。何故なら怒られるということはできていない自分を咎められているような感覚になるからです。誰であっても気持ちのいいものではありません。口ではありがたいことですとはいいつつも面白くありません。もし「最高」と思うような人はきっと仏のような感覚の持ち主ではないでしょうか。私が思うに「怒られている内が花」なのではなくその先に「花」があるのです。毎日がこの繰り返しです。少なくともある程度の領域まで成長しない限りこの繰り返しです。途中で言われなくなったらいうまでもない結果です。大変なんです。つらいんです。頑張っているんです。努力しているんです。でも当たり前なんです。自分でこの道を選んだのだから。その先に何を思い描き自分がどうなりたいか変革していかなければスペシャリストの道にはたどり着けないと思います。ですからこれは個人の自由ですが私個人の考えでは「異業種の人が介護施設経営しても良き介護職員の育成はできません」看護介護のスペシャシストの育成はその道に精通した者にしかできないと私は考えています。今必要なのは口先や年数だけを強みにする介護ではなく「ちゃんとした教育のできる本当の介護のスペシャリスト」なのです。そういった文化が生まれれば介護はもっと魅力ある仕事になるのではないでしょうか。